大阪府
なんばべついん みなみみどう
真宗大谷派 難波別院(南御堂)挙式プラン

プラン料金
挙式プラン
衣装(紋付、白無垢又は色打掛)+着付け
+ヘアセット+髪飾り+メイク+花嫁アテンド+ご案内係
+出張料+衣装配送料プラン料金そのまま
コミコミ価格のご安心で、お得プラン
まずはお見積りをお求めください!◎挙式プランには肌着以外の全てが揃います
◎白無垢・色打掛・引き振り袖(200着以上)の中からお選びいただけます。
プラン内でも50種類からお選びいただけます
(ご来店時何着でもご試着できます)
◎土日祝でも料金は変わりません
- 洋髪の場合
-
129,800円(税込)
髪飾り付き
- かつらの場合
-
オプションにて承ります
かつら、かんざし、綿帽子付き
- 挙式料
-
別途
- その他
この挙式プランに含まれるもの
高級衣装 着付け ヘアセット(洋髪・かつら) メイク 花嫁アテンド ご案内係 出張料
オススメご会食・ご披露宴
「ご会食・ご披露宴会場」よりウェディング絆オススメの会場をピックアップしています。
オプション
【プランご利用の特典】 列席者衣装が、留袖 20%OFF、振袖 50%OFFとお安くなります。
列席者衣装 列席者着付け 十二単プラン ブライダルグッズ 披露宴会場 ドレス ロケーション撮影 ブーケ、会場装花 ブライダルエステ
難波別院(南御堂)

◎ご由緒・歴史
難波別院(南御堂)の創建は、今から400年以上前の安土桃山時代の末、1595年(文禄4)に、本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立したことに始まります。
創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転します。また、1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へと寺基を移されます。
教如上人は東本願寺(真宗大谷派の本山・真宗本廟)の建立と共に、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、お念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきました。
難波別院の境内には、開基である教如上人が大谷本願寺を創建された際、1596年(文禄5)に鋳造された「大谷本願寺」銘の梵鐘が今も残り=写真①、教如上人のご苦労とその遺徳を伝えています。
また、2014年6月20日付でこの梵鐘が大阪市文化財保護法条例第6条第1項の規定により大阪市指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。今回の文化財指定によって、真宗大谷派発祥の礎を後世に伝えていく歴史資料として、より多くの人々の目に触れることが願われます。「大谷本願寺」銘の梵鐘は難波別院境内の獅子吼園に保存されておりどなたでも自由に見学することができます(開門午前6時頃~閉門午後9時頃まで)。
創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転します。また、1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へと寺基を移されます。
教如上人は東本願寺(真宗大谷派の本山・真宗本廟)の建立と共に、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、お念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきました。
難波別院の境内には、開基である教如上人が大谷本願寺を創建された際、1596年(文禄5)に鋳造された「大谷本願寺」銘の梵鐘が今も残り=写真①、教如上人のご苦労とその遺徳を伝えています。
また、2014年6月20日付でこの梵鐘が大阪市文化財保護法条例第6条第1項の規定により大阪市指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。今回の文化財指定によって、真宗大谷派発祥の礎を後世に伝えていく歴史資料として、より多くの人々の目に触れることが願われます。「大谷本願寺」銘の梵鐘は難波別院境内の獅子吼園に保存されておりどなたでも自由に見学することができます(開門午前6時頃~閉門午後9時頃まで)。
(南御堂オフィシャルサイトより)