大阪府

いばらきじんじゃ

茨木神社挙式プラン

茨木神社挙式プラン

  • 儀式殿での挙式後参進でご本殿へ向かいます
    儀式殿での挙式後参進でご本殿へ向かいます

スタッフからのお勧めポイント

◎JR茨木駅、阪急茨木市駅最寄
◎駐車場有ります

プラン料金

コミコミのお得で安心挙式プラン

挙式イメージ
挙式イメージ

衣装(紋付、白無垢又は色打掛)+着付け
+ヘアセット+メイク+アテンド+ご案内係+出張料
+衣装配送料

プラン料金そのまま

コミコミ価格のご安心で、お得プラン
まずはお見積りをお求めください!

◎挙式プランには肌着以外の全てが揃います
◎プランの打掛は40種類からお選びいただけます
(ご来店時何着でもご試着できます)
◎土日祝でも料金は変わりません

洋髪の場合

129,800円

レンタル髪飾り選び放題

かつらの場合

オプションにて承ります

かつら、かんざし、綿帽子付き

挙式料

別途(50,000円)

※挙式料をすでに納められている場合は挙式料を差し引きます
※2挙式料が2019年春以降25,000⇒50,000円へ変更になりました

その他

この挙式プランに含まれるもの

  • 高級衣装
    高級衣装
  • 着付け
    着付け
  • ヘアセット(洋髪・かつら)
    ヘアセット(洋髪・かつら)
  • メイク
    メイク
  • 花嫁アテンド
    花嫁アテンド
  • ご案内係
    ご案内係
  • 出張料
    出張料

●挙式終了まで、案内スタッフ、美容スタッフが充分お世話いたします。
●打掛は当店自慢の高級西陣織からお選びいただけます。
  白無垢:200,000円相当
  色打掛:300,000円相当(振袖からもお選びいただけます)
●サロンでは、和装を常にご用意しており、ご試着いただけます。
●挙式の申込みから、当日のお世話まですべてお任せください。
 (一部の会場ではお客様が直接申込みになります)

<スタッフからひと言>
当社の挙式プランの表示価格に付いて。
宣伝のためだけの価格設定、話の途中から、次々とプラスされるのは不安ですし、
当日、ご列席者の案内スタッフが付かないようではでは困りますね。
特に案内スタッフは重要です。
当社では、そう言った事も含め、コミコミ価格で表示しております。

オプション

【プランご利用の特典】 列席者衣装が、留袖 20%OFF、振袖 50%OFFとお安くなります。

  • 列席者衣装
    列席者衣装
  • 列席者着付け
    列席者着付け
  • 十二単プラン
    十二単プラン
  • ブライダルグッズ
    ブライダルグッズ
  • 披露宴会場
    披露宴会場
  • ドレス
    ドレス
  • ロケーション撮影
    ロケーション撮影
  • ブーケ、会場装花
    ブーケ、会場装花
  • ブライダルエステ
    ブライダルエステ

茨木神社

茨木神社

◎ご由緒・歴史

当神社の創祀は、当社由緒書きによると「大同二年(807年)坂上田村麻呂が荊切の里をつくりしとき、天石門別神社が鎮座された」と伝え、明治十二年発刊の「茨木村誌」や 大正十一年に纏められた「大阪府全志」にも「大同二年二月坂上田村麻呂茨木町ヲ作ル是日本町ノ始ト十三朝集ニ有」と記されています。
そしてこの「荊切の里」は、今日の宮元町付近 と伝えられています。
この処に人々が住み、天石門別神社を創祀した経緯や情況、坂上田村麻呂との関係等については、何ら資料がなく明らかではありません。
しかし、大同二年から逆上ること三年前、 延暦二十三年(804年)に坂上田村麻呂公は、和泉・摂津両国に天皇巡幸時の仮宮殿・行宮設定のために派遣され両国の各所を巡視されています。
また、延暦年間は、東北征討を 通して東北から摂津・和泉へ、関東各地から東北へ人が移動定住した時代でもありました。
そして延暦二十四年(805年)は、長岡京・平安京の二度の造都事業と度重なる東北 征討軍事によって農民が疲弊しているとして民政安定へ朝廷の方針が変更決定された年でもあり、このような時代の背景が起因しているのではないかと考えられます。
平安時代の延長五年(927年)編纂された延喜式巻第九に摂津国島下郡十七座の一つとして、天石門別神社の名が記されています。
それは、天石門別神社が編纂当時に官弊社として 尊崇されていた神社であったことを意味し、今日では特に式内社と呼ばれます。
爾来、中条村・茨木村の氏神として広く国主領主をはじめ多くの人々の崇敬をあつめました。
中世に入り楠木正成公が村近くに砦を築いて後、戦国時代には城郭が整えられ惣構形成の過程で、茨木村はそれまでの農村的集落から城下町へと変貌し、天石門別神社も現在地へ 奉遷されたのでした。
中川清秀公も当社への崇敬の念篤く、当社への狼藉を厳しく禁止する禁制の高礼を掲げるとともに、天正八年(1580年)には神領十三石を寄進しました。
この時代、摂津名所図会(寛政十年・1798年)及び社伝によると高槻城高山右近が、織田信長に倣い神社仏閣を焼却するに際し、信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び 牛頭天皇(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので牛頭天皇を祀ると詐称して焼却を免れたと伝えられています。
そして、元和八年(1622年)牛頭天皇、春日大神そして八幡大神を祀る社殿を新たに築いて本殿とし、天石門別神社を奥宮として今日に至っております。
明治五年、明治の社格制度により茨木神社が郷社に列せられますが、氏子による元宮天石門別神社への社格授与嘆願運動が起こり、明治十二年郷社に列することとなり、 一境内に郷社が二社ある全国にも珍しい神社でもあります。
昭和二十一年、神社制度の改革により宗教法人として新たに発足し現在に及んでいます。

(茨木神社オフィシャルサイトから)

◎アクセス

名称
茨木神社(いばらきじんじゃ)
所在地
大阪府茨木市元町4-3
ウェブ
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