大阪府
おおさかごこくじんじゃ
大阪護國神社挙式プラン
大阪市で最も広い御社殿で結婚式を挙げることができるので、親族だけでなく友人に参列してもらうことができます。
大阪市内で最も広い社殿ですので、広い殿内でゆったりとした挙式を行えます。
特に、親族以外に参列を希望するご友人にもお入りいただけますので、多くの皆様に祝福された厳かな挙式を行うことができます。
神社のすぐ隣には市民の憩いの場、住之江公園があり、広々とした境内と豊かな緑に囲まれた空間となります。
特に、親族以外に参列を希望するご友人にもお入りいただけますので、多くの皆様に祝福された厳かな挙式を行うことができます。
神社のすぐ隣には市民の憩いの場、住之江公園があり、広々とした境内と豊かな緑に囲まれた空間となります。
プランの特徴
プラン料金
挙式プラン
衣装(紋付、白無垢又は色打掛)+着付け
+ヘアセット+メイク+花嫁アテンド+ご案内係
+出張料+衣装配送料プラン料金そのまま
コミコミ価格のご安心で、お得プラン
まずはお見積りをお求めください!◎挙式プランには肌着以外の全てが揃います
◎プランの打掛は40種類からお選びいただけます
(ご来店時何着でもご試着できます)
◎土日祝でも料金は変わりません
- 洋髪の場合
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129,800円(税込)
髪飾り付き
- かつらの場合
-
オプションにて承ります
かつら、かんざし、綿帽子付き
- 挙式料
-
別途(100,000円)
挙式料と施設使用料などは神社へお納めください
- その他
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控室として2部屋利用可能
支度室有り
この挙式プランに含まれるもの
オススメご会食・ご披露宴
「ご会食・ご披露宴会場」よりウェディング絆オススメの会場をピックアップしています。
オプション
【プランご利用の特典】 列席者衣装が、留袖 20%OFF、振袖 50%OFFとお安くなります。
大阪護国神社挙式プラン
◎ご由緒・歴史
当大阪には、戦歿者の御霊を恒久的に奉斎する神社がなかったため、支那事変を契機に、府民の間から朝夕英霊にいつでも参拝し、その勲功を常に顕彰申し上げたいとの機運が澎湃としておこってきたため、時の大阪府知事が奉賛会長に就任し、内務大臣指定の護國神社として昭和十五年に創建された。
御祭神として、明治維新前後の天忠組10柱を始め、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に至る105665柱の英霊をお祀り申し上げている。
敗戦後は進駐軍の厳しい監視のもと、慰霊祭の禁止、神社名の改称を余儀なくされ、浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇をお祀り申し上げ「浪速宮」と改称して辛うじて存続が許された。
昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約締結後、大阪護國神社に復称した。
先の経過により、奉安殿に仁徳天皇を、相殿には東郷平八郎元帥を御遺髪とともに奉斎申し上げている。
昭和三十八年、遺族を始めとして大阪府民、官公財界の協賛を仰ぎ、本殿、社務所等が竣工、五月二十九日に遷座祭が執り行われた。
皇室の御崇敬は極めて厚く、昭和四十五年には昭和天皇、香淳皇后に、上皇陛下、上皇后陛下(御親拝時は皇太子同妃両殿下)には昭和五十三年に御親拝を仰いだ。
各宮殿下の御参拝は二十一回を数える。
五月二十日には「春季例大祭」が、十月二十日には「秋季例大祭」が来賓・遺族多数の参列のもと斎行される。また、四月第一土曜日には「桜の下で同期の桜を歌う会」が開催され、八月十四日・十五日には「みたま祭」が斎行される。いずれも大勢の参拝者で境内が賑わう。
また、境内には地元大阪の師団・聯隊が建立した慰霊碑が二十一基、戦争遺児より奉納の母子像、それに特攻隊員の慰霊を目的にした特攻勇士の像と合わせて二十三基もの碑があり、それぞれ縁りの日に慰霊祭が営まれ、今日に至る。
令和3年より、「奉安殿」を「浪速宮」に改称しました。
大阪護国神社オフィシャルサイトより
御祭神として、明治維新前後の天忠組10柱を始め、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に至る105665柱の英霊をお祀り申し上げている。
敗戦後は進駐軍の厳しい監視のもと、慰霊祭の禁止、神社名の改称を余儀なくされ、浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇をお祀り申し上げ「浪速宮」と改称して辛うじて存続が許された。
昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約締結後、大阪護國神社に復称した。
先の経過により、奉安殿に仁徳天皇を、相殿には東郷平八郎元帥を御遺髪とともに奉斎申し上げている。
昭和三十八年、遺族を始めとして大阪府民、官公財界の協賛を仰ぎ、本殿、社務所等が竣工、五月二十九日に遷座祭が執り行われた。
皇室の御崇敬は極めて厚く、昭和四十五年には昭和天皇、香淳皇后に、上皇陛下、上皇后陛下(御親拝時は皇太子同妃両殿下)には昭和五十三年に御親拝を仰いだ。
各宮殿下の御参拝は二十一回を数える。
五月二十日には「春季例大祭」が、十月二十日には「秋季例大祭」が来賓・遺族多数の参列のもと斎行される。また、四月第一土曜日には「桜の下で同期の桜を歌う会」が開催され、八月十四日・十五日には「みたま祭」が斎行される。いずれも大勢の参拝者で境内が賑わう。
また、境内には地元大阪の師団・聯隊が建立した慰霊碑が二十一基、戦争遺児より奉納の母子像、それに特攻隊員の慰霊を目的にした特攻勇士の像と合わせて二十三基もの碑があり、それぞれ縁りの日に慰霊祭が営まれ、今日に至る。
令和3年より、「奉安殿」を「浪速宮」に改称しました。
大阪護国神社オフィシャルサイトより
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